天命を超え、自分の人生を拓く。(芦屋・タイマッサージ的こころ)

芦屋 マッサージ チネイザン トークセン チャクラリーディング

兵庫県芦屋市から、こんにちは。

あなたのチャクラから「いま知る必要のあること」をリーディングしてお伝えするサービスも行っているヒーリングアーツ あまらのGovinda Hiroです。

生まれた時かその前にプログラミングされている予定を天命というのではなかろうか説がある。

お店の名前も「店名」という。

これは人がお店に「命」を吹き込む時に店名という形で天命を吹き込むのだろうか。

ここでいう「命」とは「イメージ」だったり「願い」だったりするかもしれない。

言霊という考え方をベースに置くと思考が広がって面白い。

さて、大晦日に生誕40周年を迎えた。

今年の誕生日は去年一昨年とは違い妻と二人で過ごせて幸せだなぁと思った。

去年は一人でインドのケララにいたし、一昨年は一人でタイのチェンマイにいた。

ケララもチェンマイも暖かくてのんびりしていて気持ちの良いところであり、一人で瞑想的に過ごせて良かったが、日本で大好きな人と二人でのんびりするのはまた格別な趣であった。

誕生日の1日前に座右の銘を思いついた。

「天命を超え、自分の人生を拓く」

天命という自分が生まれた時に一緒に備わっている設定だったり設計だったりするものを超えて、ピュアな自分で人生を想像し創造していくというものだ。

「ピュアな自分」というのは、天命だけでなく様々な物事からの影響も受けていない状態で、様々な物事の中には、「人からの期待」や「僻み(ひがみ)」や「妬み(ねたみ)」、「依存」も含まれる。

ぼくは知らず知らずのうちに他人に期待してしまったり、他人を妬んでしまった結果、僻んでしまったりする心癖があるのようなので気をつけなければならないと常々思っている。

期待は本来「時期を待つ」という意味があるそうで、ただただ自分のやることやれることをしているうちにその時がやって来るということなのであろうと思う。

他人に何かを期待すると、その人のことを自分がコントロールする力が働くので、その人にとって良くないし、結果自分にとっても良くないだろう。

ぼくは人の世界観はもとより何人にも支配されたくないので、他人にもそういうことをするのはやめましょうと思っている。

なので、「力のある他人」や「他人の集合体」の今後のスケジュールである「予言」の類もスルーするようにしている。

僻みや妬みというのは、自分がやりたいのにできないことを他人がやっているのを見たり聞いたり知ってしまうと発動することが多いのではないかと思う。

これは、自分の意識が自分にフォーカスしていると発動しにくいので、意識は他人ではなく自分に向けるようにしている。

意識することはそれなりにパワーを使うので、そのパワーをなるべく自分の方に割り振った方が諸々都合が良く、色々効率的なのではないかと思うのだ。

なので、自分の意識に入って来るものは自分で取捨選択するという方法で制限している。

「自分の意識を自分にフォーカスする」とは具体的にどうやることなのかというと、ぼくの場合、マッサージを受けている時にセラピストの方に触れてもらっているところの気持ち良さに意識を向けたり、ヨーガやストレッチなどで自分の身体の伸びて気持ちの良いところに意識を向けたり、美味しいものをモグモグしている時に口の中に広がる味わいに意識を向けたり、香りの良い花を嗅いだ時の気持ちの良さに意識を向けたり、どこか素晴らしい景色のところへ行った時の感動に意識を向けたりといったところか。

「どこに意識を向けるか」という話である。

そして、「自分の意識を自分にフォーカスする」というのは、「瞑想」的行為とも言えると思う。

つぎに、去年末から心がけていることを紹介しよう。

習慣を変えることを心がけている。

面白いことに習慣を変えると思考が変わる。

そして、思考が変われば、行動が変わる。

行動が変われば、人生が変わる。

人生が変われば、次元まで変わるかもしれない。

ちなみに、習慣を変えることで『脳が若返る』作用もあるという。

大変興味深い。

これは年末に博多で行われた本物研究所主催の講演会で本物研究所の佐野社長のお話を伺ってからそのようにしている。

佐野社長の講演を拝聴するのは2度目だが、前回も今回もすごくパワフルでとても勉強になり、とても元気になれるので、ぼくは佐野社長のファンだったりします。

具体的にどのように習慣を変えているのかというと

夜、あまらから家に帰る時、駅へのルートを変えてみたり、車両を変えてみたり、寝起きに鏡を見て「おれってイケてるぜ!」と思ってみたりすることなどだ。

習慣というのは、おそらくピュアな自分のようでピュアな自分ではないのではなかろうかと思うことがある。

元々はピュアな自分であったのかもしれないのだが、時間が経過するにつれて「今の」ピュアな自分ではなくなっていると思うのだ。

それはひょっとすると旧態依然とした自分の習慣なのかもしれない。

それをピュアな自分と認識して良いのか?ということなのだ。

良いかもしれないのだが、そもそも習慣というのがどのようにして習慣になったのかということなのだ。

そう、ぼくは今、自分の習慣を怪しんでいるのである。

この習慣は誰かに植え付けられた習慣ではないのかと。。

考えすぎだろうか。

いや、考えすぎでも良いのだ。

(というか考えずに感じましょう。いや、いまは考えても良いことにする。)

思い込みや常識といった自分のポイントオブビューに疑問を持つように、習慣を疑っているのだ。

「この習慣はどうして習慣になったのか」と。

そしてそれは、自分の内なるもの由来なのか、自分の外を由来とするものなのか。

などなど。

という難しげな話は置いておいて、本題に戻ろう。

(実はなんの話だったか分からなくなってきたというのが本音である。そんなことはない。念のため。)

「天命を超え、自分の人生を拓く」場合、天命を超えていくわけなのだが、その天命には「習慣」も含まれているのではないか。。いや、天命も含めて習慣なのではないかと思うのだ。

それ故に「天命を超える」のだ。

天命を超える動きをすると、もともとのプログラムにない動きのため、邪魔が入ったり足を引っ張られたり、うまくいかなかったりすることがあるという。

(これは師の青木勇一郎先生に伺った話だが、聞いていて納得できる話だった。)

でも、その天命を超えまくった先には「天命プログラム」の手の届かない領域があるともいう。

そこに至ると、天命を超えたピュアな自分で居られるという。

2018年からは本格的にそこを目指している。

というわけで、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

本物研究所の佐野社長が本を出版されました。

幸せになる働き方の法則

幸働観(こうどうかん)による13の考え方!

創藝社

佐野社長が本物研究所の社員の方に配信している「幸働観」という日報の中から、いろんな方に役に立つ内容をまとめられたものです。

佐野社長のパワフルだけれども優しい口調そのままの文章に、とっても勉強になりつつとっても心があたたまる内容です。

多くの方に読んでいただきたい本です。

*幸働観とは「幸せに働くための観方(みかた)、感じ方」という意味の造語です。
(本文より)

 

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